孔灝作
小于醉,大于微醺
此時市聲消隱
此時桂花呼吸平靜
此時,一生的錯誤是那根
落地的針
整座城市的陽光若無其事!
為了你的到來,整座城市的
陽光們相互鼓勵著
她們說到黯淡
她們說到流逝
這世界如此神秘
我莫名的感動,是夕陽的余暉里
那些柔蔓的柳枝
對于自己的倒影的
一次著迷
酴ったとは言えないが,ほろ酴い気分
この時周りは靜まり
この時モクセイの呼吸も靜かだった
この時,生涯の過ちを犯し
一本の針を地面に落とした
この町の太陽はけろりとしている
君が來たため,この町の
太陽の光たちはお互いに勵ましあい
彼女たちは暗澹について言及した
彼女たちは流失について言及した
この世はこんなに神秘的で
僕の不思議な感動は,夕焼けの中に
ある柔らかい柳の枝の
自分の影に対する
譯后記:
“大”“小”這兩個從幼兒識字階段就必然最先學(xué)到的初級漢字,被詩人用到了絕佳處:“小于醉,大于微醺”。
在譯詩中我一直企圖保留著「~より小さい」「~より大きい」這樣的句子結(jié)構(gòu)。我因此征求了時常在一起品酒的幾位日本友人的意見。結(jié)果是,意思可以懂,但是作為日語來讀,不僅沒有我所期待的詩意,而且聽起來還有些不自然。在中文里,是什么讓“大”“小”這樣極其平凡的漢字,具有了如此寬泛的表現(xiàn)力,并且還具有了詩意呢?我一時找不出答案來,也就只好感嘆詩人駕馭語言的能力和漢語言的魅力了。
……
酴ったとは言えないが,ほろ酴い気分
この時周りは靜まり
この時モクセイの呼吸も靜かだった
この時,生涯の過ちを犯し
一本の針を地面に落とした
這詩的背后一定隱藏著一個讓詩人“一生”都會感到懊悔的故事,如果不是“那根落地的針”,圍繞著詩人發(fā)展下去的故事,一定是十分美好的。