摘要:日語的結(jié)句形式總體上可以說分為“です·ます體”與“非です·ます體”,由于其有各自的使用范圍和場合,所以一般不能混淆以保持文體的統(tǒng)一和規(guī)范。但在語言的實(shí)際運(yùn)用中“スピーチレベル·シフト”(文體混用)現(xiàn)象經(jīng)常見到。在敬體文章中摻入簡體表達(dá),或用體言結(jié)句等形式的文體轉(zhuǎn)換,可以使文章結(jié)尾的表達(dá)多樣化,給聽眾留下深刻的印象。形成自己的風(fēng)格,調(diào)節(jié)與聽眾的心理距離。
關(guān)鍵詞:文體轉(zhuǎn)換;書面語體;效果分析
中圖分類號(hào): H36 文獻(xiàn)標(biāo)識(shí)碼:A 文章編號(hào):1672-3791(2016)02(c)-0000-00
在散文、隨筆等文學(xué)作品中可以看到以敬體為基調(diào)的書面語中出現(xiàn)簡體轉(zhuǎn)換的情況。敬體中混用簡體形式,在排除說話人違反禮貌的情況之外,可以用在以下幾種情況:①表達(dá)思考內(nèi)容、自言自語、舉例;②因?yàn)楹嗴w有直接描述感覺的功能,因此具有修辭效果,如為了簡潔、表現(xiàn)現(xiàn)場感等;③可以像一個(gè)標(biāo)點(diǎn)符號(hào)有停頓作用、或以此構(gòu)成一種文章節(jié)奏[1] ;④當(dāng)某內(nèi)容從屬于其他文句時(shí),從屬文使用簡體。日本的許多作家巧妙的運(yùn)用文體轉(zhuǎn)換,達(dá)到了很好的表達(dá)效果。例如:
①だから”大変だ”とは思ったものの、別に後悔はしませんでした。むしろ感謝した。そのかわり準(zhǔn)備には一時(shí)間くらいどころか一回分に二日も掛かりました?!?/p>
(本多勝一『日本語の作文技術(shù)』)
上文若用“ました…ました”則會(huì)使文章趨于單調(diào),用文體轉(zhuǎn)換混入簡體,利用其簡潔性,起到了調(diào)整句子語氣、重構(gòu)文章節(jié)奏的作用。
有時(shí),一本書或一篇較長的文章,為避免結(jié)句處的單調(diào)重復(fù),也會(huì)采用文體轉(zhuǎn)換。如在谷崎潤一郎的《文章讀本》中,“であります”是敘述的主線,而其中混用的簡體則表示舉例等方面的內(nèi)容,從而與敘述的主線相區(qū)別:
② 人間が心に思うことを他人につたえ、知らせしめるにいろいろな方法があります。たとえば悲しみを訴えるのには悲しい顔つきをしても伝えられる。物が食べたいときは手真似で食うようすをしてみせても分かる。
③ もっとも、誤解なきよう付け加えますが、アツキ·オオニシの洋服を著てみたいと思って、『オリーブ』を見るのではありません。あくまでも自分のファッションは『アンアン』っぽく、その上で、男の子と二人、スキップしている寫真の、その雰囲気を楽しみたい。こうした選択なのです。
(田中康夫 『ファディっシュ考現(xiàn)學(xué)』)
上文中劃單橫線的部分是后面雙橫線部分的從屬文,即是“こうした選択”的內(nèi)容。
下面以演講材料為例進(jìn)一步探討敬體文章中出現(xiàn)簡體轉(zhuǎn)換的效果。我們知道,日語演講中基本上采用“です·ます”“であります”“ でございます”等敬體表達(dá),但在演講過程中,說話人為了調(diào)節(jié)與聽眾的心理距離或轉(zhuǎn)換并展開話題時(shí),也會(huì)出現(xiàn)文體轉(zhuǎn)換現(xiàn)象,可以總結(jié)為以下功能:⑴表示引用;⑵通過重復(fù)加以強(qiáng)調(diào);⑶提出結(jié)論;⑷描述他人的見解和感想;⑸列舉具體事例;⑹想象、回憶等情景描寫[3]。
例句選自以下材料 :
⑴.表示引用的文體轉(zhuǎn)換
這是演講中最常見的文體轉(zhuǎn)換功能,描述第三者所說所寫內(nèi)容,在實(shí)現(xiàn)文體轉(zhuǎn)換后加格助詞“と”或“って”,用“~と言っています”、“~と書いてあります”表示引用。
④ 小説家の菊池寛が初めて東京に來たころ、そば屋へ入った。…だから、うどんかけを東京では「もりかけ」というものだと思っていたそうです。これはどうしたのか。そば屋の方では、「もりかけ」という意味を知らないところを見ると、この人は東京の人じゃないのだろうと判斷した。そうすると、こういう人はもりよりもかけの方がいいだろうと思った。しかも、言葉つきから、この人は関西方面の人らしい。とすると、そばのかけよりうどんのかけの方がいいだろう、と思ってどんかけを出したのだろうと、菊池寛は『半自敘伝』という本の中で書いております。(資料A)
單橫線部分為文體轉(zhuǎn)換。雙橫線的“書いております”表明了前文為引用。
⑵.通過重復(fù)進(jìn)行強(qiáng)調(diào)的文體轉(zhuǎn)換
在演講中我們可以發(fā)現(xiàn)通過只重復(fù)前文中的某一部分進(jìn)行強(qiáng)調(diào)的例子,如:
⑤ そういう時(shí)にですねえ、何か自分を支えてくれるものがあったから、今日まで生きられたわけですね?!饯欷虾韦坤盲郡郡恧Δ盲皮いΔ栅Δ丝激à皮撙毪取驻膜ⅳ毪螭扦??!瓗驻膜ⅳ?。(資料B)
⑶.表示結(jié)論的文體轉(zhuǎn)換
在演講和講座中,演講者解釋某一問題后做總結(jié)性話語時(shí)會(huì)出現(xiàn)簡體的文體轉(zhuǎn)換現(xiàn)象,下文“つまり”表現(xiàn)了作者在下結(jié)論。如:
⑥ 第三は、日本語では動(dòng)詞の表現(xiàn)に関しては、自動(dòng)詞的な表現(xiàn)が多いということであります。たとえば、「私たちは驚いた」また「喜んだ」と言いますが、英語ではそうは言いません?!杆饯象@かされた」あるいは「喜ばされた」と言うように受身の形をとっています。つまり、他の人が何々するという表現(xiàn)が多い。(資料A)
⑷.描述引用文中說話人的見解和感想的文體轉(zhuǎn)換
本條與⑴相似,但是在所引用文中含有說話人的見解和感想上時(shí)有所區(qū)別的。文體轉(zhuǎn)換的前后一般有“気がつく”、“感じがする”、“考える”、“感想を持つ”等表示說話者見解的謂語。
⑦ しかし、わたくしは、あー、ずうっと、何度も何度も読み返して、訳すときになりまして、あることに気がつきました?!?、それは、あ、光源氏が、あ、主人公と考えなくてもいいんじゃないか?!庠词悉稀ⅳ郡丹螭闻驉郅筏?、物語はどんどん進(jìn)んでいきますけれども、光源氏に愛された女たちをもしかしたら、紫式部は書きたかったんじゃないかしら?!畛酩稀⒚姘驻ば≌hを書いてやろうというふうな気持ちで始まったかもしれません?!āⅳ筏沸≌hというものは、あー、なぜか、あー登場人物が生命を持ってまいります。(資料C)
上文單橫線部分體現(xiàn)了文體轉(zhuǎn)換并解釋了雙橫線語句中“あること”的內(nèi)容。文體轉(zhuǎn)換的謂語部分統(tǒng)一使用了“~じゃないか”“~じゃないかしら”這樣的疑問表現(xiàn)形式。
⑸列舉具體事例的文體轉(zhuǎn)換
接連幾個(gè)進(jìn)行文體轉(zhuǎn)換的簡體句在列舉具體內(nèi)容時(shí)的謂語形式是相同的。如:
⑧ ああ、この光の君は、ああ、ただ美しいだけではなくって、あらゆる才能を備えて生まれておりました?!ⅳ?、どういう才能かいいますと、おお、文學(xué)できる。音楽ができる。學(xué)問ができる。それからまた、體育系の、馬に乗ったり、蹴鞠をしたりですね、そういうこともみんなできる。何をやっても、もう、當(dāng)代一という、すばらしい才能を持っております。(資料B)
單橫線的文體轉(zhuǎn)換部分是對(duì)“どういう才能”內(nèi)容的簡體轉(zhuǎn)換,這樣能使聽眾很容易聽懂對(duì)光源氏才能具體內(nèi)容的列舉。
⑹描寫想象、回憶等情景的文體轉(zhuǎn)換
在描寫想象和回憶場面時(shí),通過文體轉(zhuǎn)換,利用簡體的簡潔性等特點(diǎn),可用作客觀描述,使人有身臨其境的感受。其特點(diǎn)是謂語為現(xiàn)在時(shí)。
⑨ 私は初めてタイのバンコクに行きましたとき、バンコクのホテルで英語は通じるというわけで、ヘタクソな英語でやりとりをしていると、タイの給仕の少年というのは、目を輝かしてこっちの口もとを見ている。それで「オーライ」とか「イエス」とか言って向こうへ去って行って私の靴なんか持ってくる?!高`う」と言うと、びっくりして向こうへ飛んで行ってカバンを持ってくる。私は町を散歩したい、そのために町の地図はないかと聞いたんですが、全然通じない。しかし、その態(tài)度は何とも言えず、ほほえましく、かわいらしいものに感じました。(資料A)
上文只有“感じました”是過去時(shí),說明了上文簡體部分是回想的場面。
這種特點(diǎn)在一些現(xiàn)場感較強(qiáng)的場面,譬如在體育比賽和緊急事態(tài)的現(xiàn)場直播中也得到體現(xiàn)。例如排球比賽中人們急于知道是扣球出界還是打手出界時(shí),廣播員也采用轉(zhuǎn)換文體的方式,以簡體形式表達(dá)這種緊張和急迫的心情:“どうだ、どうだ…ノータッチ”。因?yàn)椴捎煤嗴w,使信息傳達(dá)的速度加快,更利于生動(dòng)的再現(xiàn)比賽場面。
據(jù)統(tǒng)計(jì),日本麻生首相的“所信表明演説”的6026字、206個(gè)句子中,用“ます”結(jié)尾的有106處,“ん”29處,“です”23處,“か”10處,“た”9處,“ある”3處,“を”3處,“こと”2處,“ましょう”2處。另外,“當(dāng)たり前”、“いく”、“ 強(qiáng)化”、“経済成長”、“結(jié)構(gòu)”、“三年”、“手段”、“する”、“たい”、“立ちすくませる”、“取り組む”、 “と”、 “無い”、“…ない”、“なる”、“に”、“不足”、“ほしい”、“補(bǔ)正予算” 等分別出現(xiàn)了一次[3]。
由此,我們可以總結(jié)出:演講中在敬體文章中摻入簡體表達(dá),或用體言結(jié)句等文體轉(zhuǎn)換,可以使文章結(jié)尾的表達(dá)多樣化,給聽眾留下深刻的印象。并且能形成自己的風(fēng)格,調(diào)節(jié)與聽眾的心理距離。
參考文獻(xiàn)
[1] 引自 李東杰.再論日語文體的統(tǒng)一原則和混用現(xiàn)象[J] 現(xiàn)代外語 1990.
[2] 谷口まや.日本語の講演の談話におけるスピーチレベルシフトの形態(tài)と機(jī)能[J].早稲田大學(xué)日本語教育研究,2004
[3] http://yeemar.seesaa.net/article/107451405.html。2009年5月12日
作者簡介:李雪(1985——),女,漢族,籍貫山東淄博,無錫技師學(xué)院(立信中專)。