尤克利/作
給蜜蜂一片春天,它就飛
它向著花朵勞作
直到兩眼發(fā)黑
它出生的地方,大門敞開
它的愛情,隱約的
圣潔的歌聲;它的盛譽與忠貞
含著甜飛翔,恪守愛情
從來都不在花里留宿
死于花間的勞動著,多么干凈
——摘自詩集《遠山》
蜂は花の中に寢泊りすることが一度もない
杜鳳剛/譯
蜂に春を與えると、彼は飛び出すのだ
花を働く相手に
疲れも知らない
彼の生まれた場所、門が開け放し
彼の愛情、微かに聞こえてくる
神聖かつ純粋な唄聲;彼の名譽と誠実さ
蜜を含んで飛び廻れ、愛を守って
花の中に寢泊りすることは一度もない
死ぬまで花の群で働き、なんと清潔なのだろう
譯后記
「愛を守って」「死ぬまで花の群で働き」「花の中に寢泊りすることは一度もない」,即便是在現(xiàn)實生活里,物欲橫流,充滿虛偽與銅臭,詩人也不會放棄天真的吶喊!蜜蜂“殉教”似地純潔的愛,讓詩人感動,詩人的歌唱又感染了我們。
比喻,讓語言變得生動,讓抽象變得具體,一種語言的比喻,往往有其獨特的文化內(nèi)涵,是用另一種語言無法簡單地直接進行置換的。因此,比喻的翻譯,難!“它向著花朵勞作/直到兩眼發(fā)黑”,“兩眼發(fā)黑”形容的是蜜蜂勞動強度之大,辛苦程度之高,很形象。把它譯成「疲れも知らない」,顯然,不能等同于原文的“兩眼發(fā)黑”。
“死于花間的勞動著”,一度想把它翻譯成「花々のために働き」,后來還是保守地按原文譯成了「死ぬまで花の群で働き」,但是,依然感覺有繼續(xù)推敲的余地。